キャリアまんだら発行に寄せて
キャリアまんだらシリーズにご関心をいただきありがとうございます。
まんだら(曼荼羅)を使って、自分で自分のキャリアを考えてみよう、確かめてみよう、そのこと自体を楽しんでみよう、というのがこのサイトの目的です。いろいろな曼荼羅を準備しました。自分に合ったものを選んで使ってみてください。
なぜキャリアと曼荼羅(まんだら)?
ところでこの「キャリア」と「曼荼羅」。
どちらかというと現実的でビジネスっぽい「キャリア」という英語由来のカタカナ言葉「キャリア」と、その逆とはいわないまでもどちらかというと俗世から離れた感じのある、ふだんなかなか使わないような漢字で構成された東洋の神秘感あふれる「曼荼羅」-接点のなさそうな言葉の組み合わせではないでしょうか?
なんだこれは? と思うと同時に、ピンときて手に取ってくださったあなたにとっては、もしかするととてもしっくりとするものだったのかもしれませんね。このシリーズをつくった私たち「キャリアまんだらをつくろうプロジェクト」のメンバーも、この2つの組み合わせをとても気に入っています。
なぜか?
それは多くの面で実は関係性があると思っているからです。
キャリアを考えるということ
その話に入る前に、「キャリア」の捉え方について少し補足しておきたいと思います。
さきほど「現実的でビジネスっぽい」と記しましたが、これはかなり限定的にキャリアを捉えていると言えるでしょう。そう、「あなたのキャリアを聞かせてもらえますか」と採用面接などの時に使われるニュアンスです。これまでの職歴を尋ねていると言えます。しかし、実際のところ「自分のキャリアは・・・」と考えているときは、過去の話もさることながらこれからのことを思い描いていることの方が多いのではないでしょうか? しかもその時、考えていることはもちろん「仕事」のこともあるのですけれど、それだけではなく生活のこと、つまりどこで、誰と、どのように暮らしていきたいのかといったことも併せて考えているはずです。むしろ、仕事のこと/働くということだけでは話が終わらないからこそ、悩んだり、困ったり、立ち止まったりしている方が多いのではないでしょうか?
そうしたこともあり、このキャリアまんだらシリーズでは、とても広い意味で「キャリア」を捉えています。時間軸でいえば過去と現在はもとより将来のことも含めて考えます。そして考える範囲も、会社での仕事のことはもとより、日常生活のこと--家族のことや子どものこと、自分の趣味のこと、家族や趣味を通じた地域社会との関わりのこと、などなど--も含めています。
人生はややこしい
このとき、一つ一つのこと、例えば「付き合っている人とこの後も付き合うのか、結婚するかどうかといったこと」や、「趣味のバンドの次のライブはどこでどんな曲を誰とやるのか」、「上司から次の案件ではプロジェクトマネジャーをやってほしいんだよと言われていること」、「夏に帰省したときに住んでいた家が傷んできていて改修が必要だけれど、これを機にバリアフリーにしようと思うの、あなたどう思う? と母親に聞かれて、好きにすればいいんじゃないと答えたら少しさみしそうな顔をしていたこと」‥‥こうした一つ一つのことが、それはそれで考えてもすぐには結論の出ないこと(そして、すぐに結論を求められているわけではないので急がなくてもよいけれどいつかは結論を出さないといけないこと)です。しかも、これらは相互に関係しています。関係しているから一緒に考えないといけないのだけれど、一緒に考えると話がややこしくなって仕方がない。かといってばらばらに考えようとしても、それはそれで難しい。
そして、意外にこれらのことは同じ様な構造を持っていることも少なくありません。時間の流れの中で考える必要があるということもありますが、すべて自分に関係していることなので自分なりの価値観や考え方、生き方の傾向が現れるからでもあります。
それぞれ関係しそうなものを、全体像を捉えながら、ここのことも考える、そんな方法はないものか? と思っていたときに行き当たったのがこの曼荼羅なのです。
曼荼羅は世界観
曼荼羅の詳しい説明は専門家にお任せするとして、ざっくりいってしまえば曼荼羅というのは仏教における世界観です。特に密教において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したものです。日本で曼荼羅というと掛け軸や壁画として飾ってあるもの、むしろ骨董品のようなイメージがあるかもしれませんが、曼荼羅が生活の中にも溶け込んでいるチベットでは、僧侶が儀礼の都度描き上げるものでもあります。そう、ちょっと飛躍して解釈すれば、曼荼羅は世界観を示しているだけでなく、それを描くことは世界観を改めて表現するための方策と考えることもできるのです。
また、曼荼羅をながめていると〇と□を主な形として似たような形、配置が大きさを微妙に変えながら何度も現れていることに気付きます。あたかも、曼荼羅の中の1つのパーツが全体像でもあるかのようです。このような部分が全体像とも似ている形になっている(自己相似といいます)図形のことをフラクタル図形といいますが、こうした現象は自然界の中でも多く見られていることが知られています(例えば葉っぱの葉脈)。
曼荼羅の一つ一つの部分を考え、描いてみるということもこれに類することと言えます。自分が考えていること、思っていることを曼荼羅として描き、それを全体としてまとめていくことで自分の持つ、思いもしないような(でも、もともとは気付かないだけで眠っていた)世界観を表現することができることになります。これが曼荼羅を使ってキャリアを考えることにした理由の1つです。一度に全部考えようとすると大変だけれど、一つ一つのテーマについて考えることが、ゆくゆくは自分の全体を理解することにつながり、それによって自分のキャリア全体を理解することにつながるって、素晴らしいと思いませんか。
理屈ではない世界
さて、キャリアを考える難しさをしていろいろ関係することが多くてややこしいということを説明しましたが、そもそも将来を考えるに当たって、世の中は理屈通りには動かないということも難しくしている理由の1つでしょう。そもそも「考える」といっても、何か筋道があるわけではありません。思いつくこともあるでしょうし、「なんとなく好き」「どうしても好きになれない」といった感性も自分の大切なところです。
これまでキャリアを考えるというと、「過去を振り返り、分析して、将来のゴールを設定して、そこに至るための方法をプランする」というのが多かったですが、科学の実験をしているわけではないので、そんなにうまくは分析できないですし、ゴールもなかなかです。そもそもそうしたゴールが描けるくらいなら、苦労はしません。
むしろキャリアは「考える」というよりは「創造する」ものかもしれません。このとき、妄想と創造が違うのは、そこに自分なりの「すじみち」「脈絡」があるかどうかではないでしょうか? そのすじみちというよりは粗筋といった方がよいかもしれません。その粗筋がリアルであればあるほど現実になる可能性は高くなります。しかし、リアルでなくても、なんとなくこんな感じということが分かっているだけでも、安心できるのではないでしょうか?
その粗筋を人に話して共感が得られればきっと協力してくれるでしょう。「あなたが話していたことって、具体的にはこういう仕事じゃない?」と教えてくれるかもしれません。
曼荼羅を描くことは世界観を明らかにすると同時に、そこに粗筋をつくることでもあろうと思います。描いた曼荼羅を人にも話してみるとその粗筋に自分で気付くこともあります。
さて、長話はこのくらいにして、まずは気になった曼荼羅を描くことから始めてみてください。描きながら考える、描いた後で考える。これがキャリアまんだらを楽しむコツと言えるでしょう。
そして、やってみた感想をぜひ私達にも教えてください。お待ちしています。